アナフィラキシーショックで救急搬送(その2)

救急車到着

ひとまず必要だろうとと思う物を用意してにいちゃんを救急車にいる隊員さんに引き渡し同乗しました。
この時、コロナの影響かどうかはわかりませんでしたが、同乗できるのは1名だそうで両親どちらが同乗するのかの選択。
同乗できなかった方は救急車を見送ったあと、自家用車で搬送先の病院に向かう事になるのですが、この時私は少々飲酒しておりましたので必然的に私が同乗することに。

救急車に同乗すると、中には運転手の隊員さんとにいちゃんのケアをする隊員さん二人。
にいちゃんをストレッチに寝かせて手(足もだったかな?)を固定し、無線でやりとりしながら私とにいちゃんにいろんな質問。

正直テンパりすぎてあまり記憶が無いのですがひとつ強烈に覚えてることが「にいちゃんの生年月日は?」です。

私「えと、、、、せんきゅひゃく・・・いや、へいせい・・・いや、2007年・・・」
隊員さん「2007年…メモメモ…いや、おとうさん、それはないでしょ(笑)」

にいちゃんの生年月日が出てこないんです。
今であればどれだけ泥酔していても子供の生年月日は出てきます。
でもこの時はいくら思い出そうとしても意味不明な数字ばかりが頭に浮かんできて答える事ができませんでした。
生年月日が出てこないのであれば、現在からにいちゃんの年齢分を逆算すればいいだけなのですが、引き算すらできません。

にいちゃんの症状が出てからこの瞬間までとにかく『冷静になれ、冷静になれ』と自分に言い聞かせて、慎重に慎重にコトを運んでいたつもりですが、、、この時自分がいかに冷静でなかったか、いかに動揺していたかを知りました。

そんなグダグダした問答をしばらくしながら、ある程度情報提供した(できてたのか?)後、病院へと出発しました。

搬送中もいろんな質問を私にしながら、不安だけどそう見られないように頑張って装っているにいちゃんに優しく声をかけてくれる隊員さん。
まだ平常心とは程遠い場所にいる私。
サイレンを鳴らしながら高速道路を使用して20分ほどで病院に到着しました。

救急病院に到着

ストレッチャーに乗せられたまま処置室に運び込まれ、救急隊員さんと看護師さんやお医者さんとの引継ぎが行われます。
そこから再度看護士さんやお医者さんから事の顛末を話して、、、採血したかな・・・?
時間の経過と動揺してたのとで記憶が曖昧です(汗)

しばらく処置室の外で待つように言われて外でじっとしていたところ、ママさんがちびちゃんと共に車にて到着。
救急車に乗ってから現在までを説明。
ほどなくして処置室内に呼ばれて入ると、にいちゃん点滴受けながらベッドで横になっていました。
顔色もだいぶ元通りになって元気そうで一安心です。
看護士さんから、

  • 一瞬しかエピペン刺さってなくても、少し薬が処方できた可能性がある
  • 今日は念のため一晩入院したほうがいい
  • 一緒に泊まれるのは両親のどちらかだけ

以上の説明を受けます。
話し合った結果、ママさんが一緒に泊まり私はちびちゃんと帰宅することに。

帰宅

ちびちゃん抱っこしながら外に出てタクシーを探し家に到着。
とりあえず普段一緒に寝ないちびちゃんを寝かしつけて途中で買ったコンビニのおにぎりをベッドの脇で噛みしめながら、

あ~~~よかったーーーー

日頃あれっ子と生活していて、『もしかしたらこういう事が起きるかもしれない』『その時はこう動こう』となんとなく頭の中でシュミレーションしていましたが、、、実際起きるとここまでダメダメなんですね~。。。
ホント情けなく思います。

アクシデントが起きた時に冷静でいられるかどうかはその時になってみないとわかりませんが、準備できる事として【エピペン注射の練習】をしていなかったのが本当に悔やまれました。

今はコロナ禍で実施されているかはわかりませんが、もしかしたらオンライン講習などがあるかもしれません。
エピペンを常備されている親御さんでまだ講習を受けていらっしゃらない方がいましたら、是非かかりつけのアレルギー専門医に問い合わせてみてください。



それにしても、ちびちゃんの寝相がこんなに悪かったなんて・・・。

半年ほど前から、今回の出来事で自分の中で消化できなかった部分がありまして、投稿をお休みしていましたが、これからはチョコチョコとアップさせていただこうと思います。
みなさま、引き続き宜しくお願い致します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました